【リコリス・リコイル】13話までみての感想・考察・思うこと
9/28 追記 リコリコ最終話放送から、数日経ちました。再度見たり、いろいろな方の感想や考察を読んだ上で、いまだに自分の中で引っかかる点がまとまってきたので、まとめておきます。 おおむね放送直後の感想と変わらないのですが、文が稚拙で冗長だったため書き直しました。一応この記事の下にそのまま残してはあります。 ちなみにリコリコはとても好きです。
キービジュアル「ふたりの時間、選び取る未来」に対し、最後に千束もたきなも大した選択をしないで終わったこと。
- 心臓と殺しに関する選択が千束本人の前に提示される状況を作ったにもかかわらず、最後は千束は自分で選択しない。
それだけにとどまらず、選択できなかった(生きることを強制された)状況下における、千束の感情描写がなく、最後に何を考えているのか推察する余地がない。でも時間は経ってもう心臓の話は解決しました終わりました感が描写され、心臓に関する葛藤なんてなかったみたいな終わり方をしているため、今後補間される望みも薄いと思う。夢オチって言われた方が幸せだった。
何でも想像できる=何も言っていないと同義では?
- 13話前半に関する二人の選択の結果はもうすでに十分描写されている。真島と千束の(ビジュアル的に)熱い戦いを見せたかっただけ?11話から12話前半にかけての選択の天秤が全く同じものを見せられても・・・
たきなは11話から12話Aパートにかけて「他(DA, 千束の感情)を全て差し置いてでも千束の命を優先する」選択をした。千束は12話Aパートで「不殺の心情に背いてでもたきなを守るために実弾を撃つ」選択をした。
13話ではたきなは「降下するエレベータから一人離脱し、千束を助ける」選択をした。千束は「たきなが来たことに気づき、突き落として(=殺す)でも真島と決着をつける」選択をした。これは同じでは?
ということなので、表現が足りていないのは尺の問題ではない。例えば、千束が倒れて動けない状況で、たきなが吉松を撃つかどうか選択するみたいな描写を入れる余地は十分にあった。こういう感じなら12話で千束に諭されて簡単に諦めてしまったたきなが、今度は冷静さを欠いた殺意の衝動のままの主張ではなく、落ち着いて千束に生きてほしい感情を伝えるチャンスが再度ある。
- ミカが吉松との約束を破って千束に好きなように生きさせたように、最後も千束と吉松の命を天秤にかけ千束のことを選んだという決断の描写はとても印象深かった。ただ、ここでは前者は千束の意思が尊重されているが、後者は千束の意思に背いてでもミカ自身の意志で千束を生かすことを選んだ。親としての愛情や、殺しを背負う大人としての責任が垣間見え、余韻を残していると思う。
ミカが主人公のアニメなら、手放しで称賛していたと思う。でも、これは千束自身の物語。少なくとも12話まではそう書かれていたはず。千束が重要な選択をしないなら、後半のシリアスパートは茶番にしかならない。ずっとう○こパフェの日常回だけやっていればよかった。
- 「この日常には、ワケがある」という第二弾キービジュアルのように、DAに犯罪が隠蔽される日本と、ミカによって隠蔽された吉松の死を重ねるという結び方だというのなら、もっと完璧なバックグラウンド描写が必要だと思う。最後に世界観と結びつけるには、描いてきた背景設定のガバガバさは許容できなすぎる。「千束とたきな」に注目するというとても強い前提があったからこそ、終盤にかけてのとんでもないガバガバ解決・場面描写は見過ごせていた。
インタビュー等で提示されていたテーマ「千束とたきなの物語」に対する、たきなが千束に向ける感情の大きさと千束からたきなに向けられる感情の大きさの乖離。
- たきなは3話で千束に新たな価値観を教えてもらい、そこから人間らしく成長していき、千束に対する感情が大きくなっていく。別にこれは百合でも何でもなくて、信頼関係とか友情みたいな方向でいい。
一方千束はたきなから何も受け取らない。死ぬのは嫌だと言われても「ありがとう」で一蹴するくらいにはたきなの意思による影響がない。「一生懸命な友達」くらいには大事に思っているけど、それを示す描写がない。
「最後に真島突き落とす覚悟したじゃん!あれはたきなが大事だから」というが、あれはあそこに上がってきたのがフキでも同じことが起こるように感じられる。「たきなだから」という要素が弱すぎる。
12話最後とか、あれを千束がわざとエレベータから降りたとすると、むしろフキに対する信頼を示す描写になっていると思う。
千束は死ぬから大切な人を作ろうとしなかったとか、千束は本当に思っていることはあまり態度に示さない人間だとか、「友達」は千束の中でめっちゃでかい評価、みたいな意見はごもっともだと思う。で、最終話ではまだちさたきの感情の大きさは全然釣り合ってないけど、ここから人生にポッカリ穴が空いたみたいな千束の穴をたきなが埋め、台頭に並べるように頑張っていくんだ!!!っていう解釈はわかる。でもそうだとしたら、ここからが「千束とたきなの物語」であって、リコリス・リコイル13話までの話はそうじゃないよね。バディを組む(1話予告など)という書き方をしていた以上、バディらしさというのはもう少し表現してほしかった。
- 上記の千束の心臓に関する選択と、バディとしてのたきなから千束への感情を訴えてバディとしての成長を示す絡め方でまとめるのかと思っていたが、そうでは全くなかったため面食らった。
上記の課題が未解決なことで、急に最終話で感情の動き方が全くわからないキャラたちに見えてしまい、そこまでの千束とたきなの演出さえチープに見えるようになってしまった。一番悲しい。
- 終わり方に対して、OPもEDも話の重さを想起させるほど良すぎたのが悪い!!!!!!!(難癖)ギャグで終わるならOPはお願いマッスルにしてくれ。それなら最初からそのつもりで見る。
以下、最終回放送直後に書き殴ったキモオタお気持ち表明文です
ネタバレ・不満を含みます。
なんか久しぶりにどっぷりハマって毎週ワクワクしながら見ているアニメだったんです。 最初からリアタイしてたわけではなく、Dアニメストアで3話あたりから見始めて、「何このおもしろアニメ!?」ってなってそこからは毎週欠かさず複数回視聴していました。
それが今日終わったので、感想を・・・ 久しぶりに感じたこの重みを書いて、もし同じこと思ったり、これはこうじゃない?みたいな人がいるなら見てもらえたいなー、と思っています。
全てはオタクが勝手に期待していた妄想に過ぎなかったのです・・・
前提
以下のものには目を通し、または聞いています。 ただ、本記事を書くにあたり、全てを見返して書いているわけではない(13話を見終えた勢いで書き殴っています)ので、間違いがある可能性があります。ご了承ください。
- アニメ本編
- Ordinary Days
- リコリコラジオ
- ニュータイプのリコリコ特集
- 各種インタビュー(見つけたものだけ、アニメイト・Febri・YoutubeのAniplexコンシェルジュの足立監督のやつなど)
- Blu-Ray第一巻
- その他(アニゲーイレブン、最終回直前生放送、etc)
テーマについて
この記事とか、アニプレックスのラジオとかで、「千束とたきなの関係性」だとか、「二人の物語」みたいなところに注目してほしい、というところが度々言及されていた印象でした。 最初はリコリコの世界観にもとても惹かれていたのですが、こういった話を受けてや、事件周辺の設定のガバガバ具合を見て、「そういうところは気にするアニメじゃないんだ」と前向きに割り切っていました。それはむしろ全体のテンポの良さや、シリアス展開にも笑える要素が含まれる結果となり、このアニメの魅力に大きく寄与していたと思います。
じゃあ、その言及している「千束とたきなの物語」について書き切れていたのか・・・?というところが自分の視聴する上でのポイントでした。
13話について
戦闘シーンはめちゃかっこいいし、演出もイケてたし(語彙力)、特別版ALIVEは鳥肌もんでした。 フキは素敵ですね
おおむね終わり方にも満足しています。ゆるく喫茶リコリコは今日も営業中!みたいな終わり方はこのアニメらしいと思います。
でも、12話までで描いていたのはなんだったんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(クソデカキモオタブサボイス)と感じざるを得ませんでした。
個人的な不満ポイントは2つです。
- 千束とたきなは本当に相棒って言えるんか?
- 千束が心臓を受け入れることに関する葛藤はないのか?
5話で千束の人工心臓について明らかになり、9話冒頭で千束の余命についての話が出ます。
こういった展開から、話は「千束の寿命と、それに対する本人及びたきなの向き合い方」に話がシフトしていくんだなと思いながら見ていました。
そう思って初めから見直していくと、1話冒頭や4話の食事の話など、千束の生き方についての伏線に気づき、感動したものです。
実際に、12話まではそういう風に話が展開していたと思います。
千束とたきなは本当に相棒って言えるんか?
千束が自分の生き方を語るシーンが多いように、千束の人生観は自分の中で固く決まっているような印象を受けていたので、
常時楽しい顔をし続け、周りの人をできる範囲で幸せにして最後はひっそり消えようとする千束 VS とにかく生きてほしくて、その人生観をぶっ壊して説得するたきな
みたいな構図になることを期待・予想していました。
説得する方法についてはなんでもよくて、大事なことはたきなは千束からいろんなものをもらったのに、たきなから千束には何も(言い過ぎ?)与えられていなくてバランスが悪いってことです。
「千束が人生の楽しみ方や、生きる上で大切な考え方を教えてくれた。それによって私(たきな)は変わった。なのに千束は何も変わらず大切に思う人を置き去りにして死ぬんですね」的な感じでもいいし殴るでもいいし抱いて回転するでもいいしでまあとりあえず説得して千束の人生観を変えて心臓も移植し、 お互いに与え合う関係になれました、ちゃんちゃんみたいな感じなのかなと。
と思ったら、そんな話は全くなく終わっちゃいました。
- 真島と戦い終わったら気絶した
- 起きたらなんか手術されてた
- なんかやばくね!?宮古島行こ!!!え、なんか死なないんだけど?
みたいになって、それをたきなが迎えに行って終わり。
うん・・・(ホットチョコたっぷりのパフェ感)となってしまいました。
勝手な妄想なんですが、「テーマがそうって言ってんだからそうじゃないとバランスが悪いだろ!」というきもちです
リコリコ、千束とたきなの対等でお互いが唯一無二なバディ関係が…熱い!みたいな構成では実はなく、最後の最後まで千束は宮古島まで逃げ続けたし、井ノ上!こっからやぞ…!この女の加算された寿命にこっからお前の存在を改めて刻んでいくんや…!みたいな余韻を含みつつ終わったの、割とレアだよな…
— えんびたんさん (@AVE_EEE) 2022年9月24日
勝手に引用してしまいすみません。こういうことだとして飲み込むことにしました。 頑張れたきな
でも
- たきなは結局千束が生きていればなんでもいい人みたいになってる
- 千束の影響を受けて、不殺になってたはずだけど、12話で取り乱して吉松を殺そうとしたことに対する悔恨の念や、千束の意思を踏み躙ったみたいなことに関する描写がなかった
というのは、まあ結局たきなも最後まで狂犬のままなんですね。というちょっと悲しい印象を残しました。 これが「やりたいこと最・優・先」なのかもしれませんが。
千束が心臓を受け入れることに関する葛藤はないのか?
こっちが本題です。
さっきのところにも書きましたが、なんか結果的に新しい心臓は受け入れられてます。 「吉松は本当に心臓を移植していたのか?」は解釈の分かれるところだと思いますが、ミカが「シンジは嘘を言わない」というあたり、本当に移植していたと僕は思っています。
そうなった時、ミカは心臓を抜き取った上でケースに入れて千束の寝ている部屋に持ってきたことになります。 そこでケースに心臓が入っていたのか、殺して抜き取ったのかはミカの発言の選択によりまた解釈が分かれます。 ここは、吉松の「お前は嘘ばっかりだな」とかけ、元から入っていたと嘘を言ったとします。
たきながそれを嘘と感じたかはさておき、たきなは千束にその通りに「ケースに入れて持ってきた」とだけ伝えるわけです。 「普通、入れないよね」という千束の問いに対し、たきなは半ギレ顔で「普通は」と答えてこの問いは終わりです。
え、もうちょっと聞かないの?となりました。
10年前に一度会っただけの「救世主」をずっと探し求め、感謝の念を抱き続けるような人間だったのに急にそんな無頓着になるん?感。
ここで、2パターンを考えます。
- たきなの言葉をそのまま受け取り、吉さんに心臓を渡してもらえたと思った
- 吉さんが死んだことを悟った
たきなの言葉をそのまま受け取り、吉さんに心臓を渡してもらえたと思った
- 「真島に武器を渡したのもお前、ウォールナットにラジアータをハックさせたのも殺したのもお前、ああ後松下もお前だ。そして、千束の心臓を壊したのもお前」
- 12話での千束に対する吉さんのあの言いよう
- これらを踏まえてるのに、「吉さんが急に心臓をくれた!ありがと吉さん!」みたいな発想になることがあるんでしょうか?
- 仮にそうなったとしても、なんでそうなったかは気にならないんでしょうか?大好きな吉さんなんじゃないの?
個人的には、あまりにも人間らしくない突飛な発想に感じてしまいます。
ここまでの展開や、安済さんのめっちゃ自然な演技も相まってすごい人間らしさみたいなものを感じていたのに、急にありえん思想を持った物語中の人間(≒感情移入しづらい)みたいな印象になってしまいました。
吉さんが死んだことを悟った
ここで、別の考えとして、千束はとても察しがいいので、「ああ、吉さんは死んだんだな」と察しているパターンもあると思います。 しかし、そうなった時は、次のことが違和感として浮上します。
- あれだけ吉さんのことを殺したり、撃つのを躊躇う描写を散々12話でしたのに、見えないところで死ぬのはええのんか??
- 「吉さんの代わりに生きるのは、私には無理だよ」という錦木千束さんはどこへ
「二人のお父さん」というくらいに大事に思っているはずの吉さんが死んだのにそんな軽く受け流せるのか・・・といった感じです 死ぬところを探し宮古島に来たって言ってましたが、そこでもうすでに察していた可能性もあります。それでたきなに見つかる前に自分の中で消化しきったと解釈もできなくはないです。
ただ、それにしたってメンタル強過ぎじゃないですか?あんなに慕ってた人がいなくなって、また自分の信条にも背く形で心臓を移植された状態になっているのに、「なんか心臓埋め込まれたしまあ生きてくか」みたいなノリで生きていけるんですかね・・・
どちらのパターンにせよ、錦木千束は「弱いところは見せず、自分の中で全て完結させてしまう人」という印象が拭えなくなってしまっています。
9話のDAに向かう際にイライラして煽り運転の車を撃つシーンとか、10話でリコリコ閉店した時にミカに対して寂しさを吐露するシーンとか、12話で吉松を実弾で撃ってしまい叫ぶシーンとか、ちょくちょく葛藤の上の選択だとか、千束の感情が漏れる描写があったのに、それは伏線というわけではなく、最後までそういう人として書き切る形をとったわけですね。
ここまで重たそうな話続けてきたのに心臓に対する千束の感情の描写は明確にしないのはどうなんだよ!!!って思います。
難癖
最終的な人物の解釈が
- 錦木千束:弱いところは見せず、自分の中で全て完結させてしまう人
- 井ノ上たきな:千束が生きていれば他のことはどうでもいい、生死については千束の意志がどうだろうと関係ない みたいなたき→ちさの構図になっているのに不満が残ります。
万人受けするような魅力的なキャラとマイルドなギャグを含むストーリーを展開させておきながら、なんか最後は人を選ぶというか無意識人たらしこみ女錦木千束と激オモ女井ノ上たきなという人物でしたよ
千束とたきなの感情を推測できる要素がたくさん散りばめられていた(感情移入しやすかった)というのに、最後の結論がこのようになってしまうのはとても悲しいことに感じます。
そんなとんがった人物二人ならもっと重そうな百合漫画とかでやってくれ!!!という僕のただの勝手な不満です。めっちゃ王道バディものみたいな雰囲気醸し出すな!!!!!!
または、これはこういうことなんだ!!!だからちさたきはめっちゃ最高のコンビ!!!というめちゃつよ解釈があれば教えてくだしあ
結論
色々書いたんですけど、普通にみてたらそんなことは考えずめっちゃ楽しくみれます。
人間関係について色々考えて楽しく見てたんですが、なんも考えないでみた方が楽しいアニメだったということです
- バディものだと勝手に勘違いしたオタクが悪い
- 信念に対してどのように決断するか、という物語だと思っていたらそこの描写は全くと言っていいほどなかった
- 一回サラッとみて「ちさたきてえてえ!!!!!!!!!!」っていうことに関しては最高のアニメ
- でも本当に毎週ワクワク見させていただきました。ありがとうございました。
みづらいので修正するかもしれません